スザンナ・ナカモト・ゴンザレス
アメリカコミュニティーカレッジ専任講師
ダンワールドのトレーニングを始めてからもう3年が過ぎようとしている。
カリフォルニアにあるオルンバイン・ダンセンターでトレーニングを始めたころ、私は2年間縛られてきた博士学位論文を終えるところだった。
私の論文テーマは、「アイデンティティの定義に関する探究」であった。
毎日毎日がストレスと疲労、そして憂鬱さでいっぱいの毎日であった。
教育者としての職業的な成功のために研究に没頭する一方、完成度の高い論文を書かなければという二重の圧迫感のため、腹痛と不眠症に苦しめられもした。
健康と幸せを取り戻すには、何か新しいきっかけが必要だという考えが切実に感じられたときであった。
日系、ペルー系、ヨーロッパ系の血統が交っているアメリカ人として、私は常に民族とアイデンティティの問題を探求するのに関心があった。
博士学位論文のテーマをアイデンティティとしたのは、そのような理由からであった。
多民族の血統を持つ女性が生活をしながら経験する様々なことは、結局「家」という場所を探すための旅行だと私は信じる。
実際の場所であろうと、隠喩的な「家」という場所であろうと、その家は安楽と調和が見つかる場所である。
その場所を探すために、私は民族、人種、差別、性、権力、排他的な多民族的な人生に内在しており、他民族の血統の女性が日々ぶつかる伏兵でもある。
私の探求は社会的・政治的なパラダイムを越え、スピリチュアリティの領域にまで至ることとなった。
なぜならばスピリチュアリティの世界こそ、まさしく心から出る神々しい愛がとどまる場所だからである。
私がダンワールドと出会ったときは、まさにこのような悩みが深まっていくころであった。
博士論文の答えを得た
私はダンワールドのトレーニングの原理を理解する以前に、ダンワールドの脳トレーニングを経験し「感じる」ようになった。
その後すぐに、簡単なトレーニング法のいくつかを習った。
脳体操を通じて、私の体に生気を与え、止感トレーニングを通じて考えを断ち切り、内面から没頭し、奥の深い呼吸法を覚え、柔らかいエネルギーの流れの中で脳を感じることができた。
このすべてのことが日常的なトレーニングになりながら、私の体は急激に治癒され始めた。
数十年の間、私に付きまとった精神的・肉体的な疲労感が消えたのである。
これからどんな困難にぶつかっても、自らを治癒できる自信を持つようになった。
健康を取り戻しながら私は次第にダンワールドのトレーニングの深い世界に出会えるようになった。
その世界で私のエゴを粉々に砕く雷のような静寂を見た。
それほど多くの苦痛と悲しみをもたらした利己心の痕跡を消すことができた。
その静寂の中でユルリョ(律呂)の世界を見て、長いあいだ探し迷っていたアイデンティティについての答えを得た。
今まで勉強してきた西洋の科学は、私が誰であるかを規定してくれた。
私はヨーロッパ系、日系、ペルー系の血統が交ざったアメリカ人であり、教育哲学博士であり、大学教授であり、女であった。
しかしダンワールドのトレーニングは、私に境界の区分はもともとないということを経験して感じさせてくれた。
排他的な態度、人種差別、アイデンティティの混乱、画一化された固定観念などは、すべて消えた。
私はダンワールドのトレーニングを通じて賢者と哲人、そして古代の伝統が口をそろえて話をする「ひとつになる」世界を経験した。
本では探すことのできなかったアイデンティティの真の意味を、私はユルリョ(律呂)の中で見つけた。
ユルリョ(律呂)は一体感の本源である。
また、すべてのことが互いに結びついている関係の中で、動く調和の世界である。
ユルリョの中ではすべてのことが単に「あるだけ」であった。
私はアメリカ人でも、ヨーロッパ人でも、日本人でも、ペルー人でもなく、女でも教授でもなかった。
ただ悠々と流れて存在するひとつの生命であるのみであった。
植物人間であったおばが目覚めた
トレーニングを始めて4カ月になろうとしたある日、私はペルーにいるおばが深刻な発作を引き起こして倒れたということを聞いた。
おばは昏睡状態に陥り、生死をさまよっていた。
おばに会いにペルーへ立ちながら、私を指導してくださったダンセンターの先生へ助言を求めた。
先生らは平和で落ち着いた心で病室へ入り、おばの体をマッサージして、全身を軽く叩いてあげなさいとおっしゃった。
また、病室は平和と落ち着きが崩れやすい場所なので、その空間全体に生命のエネルギーが充満するように心を籠めなさいと助言をくださった。
病室に到着したとき、おばはまるで死体のように横になっていた。
口を半分ぐらい開けて、頭さえもまともに支えることができなかった。
足はねじれており、体中が硬直していた。
目を開くことも話をすることもできないまま、死だけを待つ状態であった。
私はおばのしめっぽく冷たい手を握り、声が聞こえたら私の手をぎゅっと握ってと、耳元にささやいた。
祈るように切実におばを呼んだ。
何秒か後、おばの手が私の手をかすかに握っているのを感じた。
意思疎通が不可能な植物人間状態であったおばは、私を感じることができ、私の声を聞くことができた。
私は興奮を隠しきれなかった。
まるで魔法にでもかかったようであった。
昏睡状態にあるおばを見ているあいだ、私はおばにトレーニング過程の中で覚えたファルゴン(活功、気のマッサージ)をしてあげた。
その方法は効果的ではあったが、おばを目覚めさせるまでにはいかなかった。
おばが昏睡状態に陥ってから3週間目、私は悩んだ末、おばの丹田を強化するトレーニングをしようと決心した。
はじめの1週間はおばの下腹部を私の手でたたいたが、後にはおばの力のない手と腕をつかみ、おばの手で自分の下腹部を直接300回叩かせた。
そうしながら数日目、あまりにも驚いたことに、おばは長い眠りから覚めた。
まるで思いもよらない場所に着いたように、目を大きく開いて、周囲を見回した。
他の家族たちは驚いて口をふさぐことができなかった。
このような経験を通して、私はダンワールドのトレーニングがすべての人に潜在する治癒力を目覚めさせるという事実を知った。
はじめは健康のためにトレーニングを始めたが、しだいにダンワールドのトレーニングがもたらす人間と世界に対する新しい洞察に魅了された。
そしてダンワールドのトレーニングを教育に導入しなければと考えるようになった。
ダンワールドのトレーニングを大学の講義にとり入れる
既存の方法とは違う方法で「知る」ということを伝えるために、私は大学の講義時間にダンワールドのトレーニングを活用し始めた。
私は本格的な講義をする前に学生たちと一緒に、簡単なダンワールドのトレーニングをする。
教育者として私は、ダンワールドのトレーニングの無限の教育的な可能性に改めて驚いている。
ダンワールドのトレーニングは私たちの心を動かし、「頭で理解するというよりも経験で感じる人間」になるように導いてくれる。
最近ではペルーでダンワールドの脳体操を教える機会があった。
私の教育コミュニティーワークショップで講義プログラムとダンワールドのプログラムを統合して活用した。
ワークショップに参加したいくつかの小学校および高校の教師、運営者、児童・生徒の父母たちと近くの農村で、そこの全農民も私たちと一緒にトレーニングをした。
講義室は活気と躍動感にあふれ、ワークショップの参加者たちはずっと積極的に授業に熱中して、どの講義室においても滅多にみられない協同心が見られた。
みんな楽しそうだった。
参加者の中のひとりが、次のように自分の感想を述べた。
「心が満たされ、緊張感が消えることを感じました。おかげで講義もずっと理解しやすくなり、習おうとする熱意が強くなったようです」
ある教師は「ダンワールドのトレーニングはこどもたちに活用することのできるトレーニングであるが、私たち教師にもとても役立ちます。日常的な緊張から抜けることができるためでしょう」と言った。
2学期のあいだ、トレーニングを根気強く行った私の学生は、このように話した。
「もっと多くの学生がダンワールドのトレーニングを経験すればと思います。自分自身を探求することで、自分に対してより多くのことを知ることになるからです。そんな自己探求が私たちをより良い人間へと作っていくものと思いますよ」
その学生の言葉は私を感動させた。
それは私が言いたかった言葉でもあった。
ダンワールドのトレーニングは私たちをより良い人間に作ってくれる。
私は私がなりたかった私になった。
私と家族、そして私が携わる教育共同体で、ダンワールドのトレーニングは治癒と創造のエネルギーを放出して、すべての空間を真の「家」に変化させている。
0 件のコメント:
コメントを投稿