イ・ギソン ケウォン大学 電子出版学科教授
私のあだ名は「ぽっちゃり講師」。
本の著述をはじめとしてテレビ出演、雑誌への寄稿などの活動のほとんどを「ぽっちゃり講師」という名前を使っているように、今となってはもう本名よりあだ名を覚えてくれる人のほうが多い。
歳のせいであろうか、頭が昔のようには働かず、もどかしさを感じていたときに、ダンワールドを知るようになった。
トレーニングを始めようとしていた矢先に、ある月刊誌から提案が出された。
私のダンワールドのトレーニング過程を紙面に公開しようというものであった。
1カ月に1回、私がその結果を雑誌へ掲載することで、5か月間ぽっちゃり講師のトレーニング成績表を公開しようという内容であった。
私は喜んで受諾した。
とりあえずおもしろい提案であったのと、一人でやっていくと怠けてしまい、三日坊主になってしまうかもしれないという心配もあったので、雑誌に載ると、読者の目が怖くて一生懸命するのではという考えからであった。
この機会にダンワールドの脳トレーニングをする楽しさにはまってみよう、内心そのような計算もあった。
私のダンワールドのトレーニングは、脳を柔軟にして、左脳と右脳の機能を統合するという「無限大描き」から始めた。
顔と首は動かさないで、瞳だけで描こうとするというので、初めは並たいていの辛さではなく、腕がちぎれてしまうかのようにずきずきして、目は痛くて涙が出て・・・・・。
なぜこんなことをしなければならんのか、という気持ちにまでなった。
しかししばらくして無限大描きの効果が表れた。
こっていた肩が気持ちよくほぐれ、重かった目がひときわ楽になった。
他の人のように、目の筋肉が手の動きに合わせてほぐされるとか、脳の形や色、状態が見えることはなかったが、どういうわけなのかダンワールドのトレーニングをしてからは、全身がさっぱりしてきた。
無限大描きをするあいだ、私の特技である「とんでもない想像力」が働き、私なりにおもしろいトレーニング法もひとつ開発した。
名付けて「奇跡の呪文!」である。
コンピュータでするように、頭脳にある「保存キー」を押す原理で、トレーニングした結果をそのまま脳に保存するためのものであった。
方法は後頭部を「ポカッ」と叩きながら、「脳よ目覚めろ!」と叫ぶこと。
そうやって大きな声で叫ぶと、知らずにこぶしをギュッと握りしめるようになり、力が湧いてきた。
私の車をどこに止めて置いたのか
ダンワールドのトレーニングの2か月目、朝、目を開くたびに自分でも気づかないうちに気分がよくなった。
その理由といえば、50の峠を越えてからは、ぼうっとしていてどこにあるのか忘れっぽくなっていた「それ」が朝、目を開くのと同時にはっきりと思いつくようになったからだ。
それとは私の車のことである。
駐車の問題がただごとではない地域に住んでいるため、駐車をしようと思えば、駐車スペースを探すためにそれこそ近所をぐるぐる回らなければならないが、いざある場所の隅に駐車をしたら、翌朝にはどこに停めたのかわからなくなり、近所中を探し回るのがお決まりであった。
ところが、ダンワールドのトレーニングを始めて2か月目からは、朝、目を開くと駐車した位置がおのずと頭の中に鮮明に浮かんでくるのであった。
私の体験談を雑誌で読んだ数名の読者が電話をかけてきた。
自分も車をどこに停めたのかわからなくなるときが多いのだが、痴呆でないかと心配になったとのことで、私は冗談を交えて彼にこのように話した。
「自動車のカギを持って、『あれっ、自動車はどこだったっけ?』と言えば痴呆ではないでしょう。痴呆なら自動車のカギを持って、『これ何に使うものだったっけ?』と言うでしょう。だから無意味に心配しないで、ダンワールドのトレーニングでも一生懸命してみてはどうですか」
当時私は、無限大描きと一緒に「脾臓の健康法」を並行していた。
1日600回の腸運動。
「毎日600回もですか?」と、ひそかに疑いの目で見る人も多かったが、実際には6分だけ時間をとればよいのである。
朝、目を開くとすぐにトイレへ行っての3分、トイレを出てテレビを見ながらの3分あれば十分である。
記憶力の回復と同時にやってきた2つ目の変化は、動きが素早くなったという点である。
周りから「稲妻男」というあだ名までもついたほどだ。
とりたて怠けていなくても、歳を取るにつれて重くなるものはお尻ではないだろうか。
ご飯でも食べると、だらっと何かにもたれて休みたがっていたのが、ダンワールドのトレーニングをしてからはどういうわけか、イスから腰を上げて立つまでの動きが信じられないほど早くなり、スムーズになったということである。
何よりも5か月間続いたダンワールドのトレーニング中に経験したその優れた効果の白眉は、3月に慶州で開かれた東亜マラソン大会でのマラソン完走だ。
そのうえ、5,000人中、1,200位とは。
これはまさに私の人生の快挙であった。
標準よりも太っているほうなので、普段かけっこさえもできなかった私としては、本当にすごいことに違いなかった。
自分でも驚いたが、一緒に参加した同僚の教授たちがあんまり舌を巻くものだから、いばってみたくもなった。
実は走る前は私が果たして成し遂げることができるのかと思っていた。
ところが、やり遂げたのである。
ダンワールドのトレーニングをしてから体も体であるが、自信がついたおかげだと思う。
歳をとるという考えに訳もなく萎縮して過ごしていたが、これからは体力も精神力も若い人に負けないぐらいの自信がついた。
上がっていた血圧が下がる
さらに嬉しいニュースは気が早いせいか、いつもどくどく上がっていた血圧が、ダンワールドのトレーニングを始めた後からは、ストンと下がったことである。
140~90を上がったり下がったりしていた血圧が、ダンワールドのトレーニングをしながら120~90程度まで下がったのである。
おかげで月に1回、血圧の検査を受けに行く病院でも、担当医からお褒めの言葉をいただいたほどである。
担当医に「本当によくなりました。何か良い運動でもなさってますか」と何度も聞かれた。
マラソンに血圧まで、私は言葉通り、意気衝天になって、ことのついでに、一日600回だった腸運動を、1,000回に増やした。
毎月雑誌に掲載される写真を撮るのだと騒ぎ立てていたので、初めは老いてまでどういうつもりかとぐちぐち言っていた妻も、最近では活気のある私の姿に何も言えない。
5か月間、仕事という口実でまともにトレーニングをする時間がなかったが、これだけの変化をもたらすとは、私としては大満足である。
血圧が安定したことは置いておくとしても、とりあえず記憶力がかなり良くなった。
もちろん頭の悪いのを天才にすることはできないので、ものすごい変化とはいえないかもしれない。
しかし、私には大きな変化である。
記憶力がよくなったことは、別の言い方をすれば、若返ったということで、自己免疫の体系が強化されたということを意味するからである。
このような私にも解決できなかった宿題がある。
他でもなくダイエットである。
「トレーニングとマラソンで、どんどんやせそうですね」と周囲の人がいうときに、私は消え入りそうな声で、「それがですね。どうしてやせないんでしょうかね」と聞き返す。
他の人はどんどんやせていくのにである。
もう約束の5カ月も過ぎて、読者たちにまたどこかで会いましょうと別れの挨拶もしたので、私のアキレス腱であるウエストのサイズを縮めることに挑戦してみるときである。
ところで悩みがひとつできた。
ダンワールドのトレーニングをしてやせたら、「ぽっちゃり講師」という親しみのあるあだ名からも永久にお別れしなければならないのではと。
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